適刊・近衛虚作

喀血劇場主宰・近衛虚作(このえ・うろつく)がつれづれに侍るままに、由無し事ども書きつくるなり

『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』にまつわる書き散らし

公演情報を書くこともなく、全4回公演のうち、既に2ステージ消化しているわけで、何をしとるんだ、と言われると、基本的に何もしていないという状況。

 

つうことで、本番やってます。

京都学生演劇祭2013参加公演
喀血劇場第七幕『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』

京都学生演劇祭→ http://fost.jp/

公演情報→ http://chimidoro.web.fc2.com/7th.html

感想まとめ→ http://togetter.com/li/466051

 

去年の京都学生演劇祭に喀血劇場として初参戦し、『千和、立ったまま眠っている』を上演しました。「喀血劇場サイコー!」「客席全体が感動のるつぼ」「喀血劇場は作画が安定していない」など、いろいろな評価をいただきまして、それから丸一年経っての今作です。

 

今作はタイトルどおり、「南やばしろ町」の「男根祭り」が題材なわけですが、このタイトルは去年の学生演劇祭の最終日に既に決まってました。10月までに1/3くらい書いてて、残りの2/3は直前に書きました。これね、10月から2月ぐらいまで、人生で最大の空白期間を断続的かつ継続的に経験し、動画共有サイトでひたすら動画を見続け、そのまま机の下で寝て、起きたらまたディスプレイをひたすら見て、寝て、みたいな生活を送ったりしました。

わかりやすくいうと「鬱」ってやつですね。

稽古で体動かしたり、無駄に大声出してると元気なんですけどね。

 

あとは、大学を卒業せずに(できずに)去る、半分就職する、性的欲求不満のどん詰まりに陥る、ソシャゲに課金するなど、いろいろとファンキーな状況が怒涛のように押し寄せて、アッパッパーでした。(アッパッパーって、語感が良すぎて、本来の意味とかけ離れて使っちゃう。)

 

さて、『千和、立ったまま眠っている』と『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』はかなり違います。脚本書いてるのも演出つけてるのも相変わらず僕なので、変わらない部分もたくさんありますが、前作があまりに優等生的だったので、「ちゃうねん」ときちんと言っておきたくて、そんな叫びが今作にはかなり込められておりんす。ほんとはそこからきちんと形を刈り込むべきなんだろうけど、いろんな制約から、ほぼ刈り込まれない状態で絶賛上演中です。もう全体的に僕の見せられる部分をぶちこんでいるので、どこを切っても僕、みたいな作品になってます。

 

あ、今作は今後も継続的に改稿しつつ、喀血劇場のレパートリーとなる予定なので、今回見逃しても、いずれ見れるから大丈夫。

 

それにしても「全部ぶちまける」という作劇は、高度にマゾヒスティックでありサディステックな行為だなあと思うわい。どちらにせよ超きもちいいし、我にかえると超むなしい。例えるなら、相手に首輪を付けて前戯に挑む感覚に似てます。カチャカチャ首輪を取り付けている最中は超マヌケなんだけど、首輪を付けられた相手を見てニヤニヤしてるときは至上の喜びを感じる。「え、なんでこの人、こんなの付けさせるの」って目が、徐々に「うわ、首輪つけられて感じてる自分に感じじゃうビクンビクン」ってなるのもさらなり。「こんなの付けさせないと安心できないんだね」っていう目で見られるのもいとをかし。

 

空白期間の間、東日本大震災の映像を1週間見続けて、それがもにょもにょっと心の中で形を取り始めて、俺は津波になりたいし、俺は津波に飲まれた人になりたいし、津波で自分以外の全てを失った人になりたいんだなって気がしている。

 

仕事柄、東日本大震災の話をよく聞く機会があって、あの3月11日からの1週間は、無責任に騒ぎ立てられて、ほんとに幸せな日々だったなと思う。津波の映像を見てはしゃいだことも、アホみたいなチェーンメール回してきた人をしたり顔でたしなめたり、救援物資送付の音頭取りをしてみたり。震災直後、「いっちょボランティアにでも行くか!」と思いながら結局京都に留まり続けて、またも僕はヒーローになりそこねてしまった。4月以降、東北をうろちょろして、ヒーローになりそこねた僕のかけらを拾い集めてこようと思います。

 

そうそう。東北に行くからね。脚本を書くうえで、取材なんてしちめんどくさいことしたくないので、しばらく東北の空気を吸えば東北感が身に付くだろうと思ってね、だからこそ、今の時期に、東北の空気なんかほとんど吸ってない状態で、ど田舎の話を書きたかったっていうのがね、結構後付の理由ですが、あります。今作におけるど田舎は空想上の典型的ど田舎であって、どちらかといえば、ど田舎を突き離すというか、自分に寄せて書いている感じなんですが、もしかしたら今後、目も覆いたくなるような真性のど田舎の空気を纏うかもしれないし、実は空想上の典型的ど田舎と実在のど田舎は一致してるかもしれませんが、今作を改稿して再演するというのが非常に楽しみです。

 

さーて、今年こそ、学生演劇祭で優勝するぞ!

立命芸術劇場『うぶわらひの映る』感想

お世話になったり、これからもお世話してもらう予定(勝手に)の人が出てた立命芸術劇場の卒団公演。

20日昼の回。

徹夜での観劇なので個人的なコンディションとしてはよくない。

ホールに入ったらまず舞台装置が目に入る。京都の学生劇団で具象と言えばやっぱり劇団ケッペキと立命芸術劇場なんでしょうね。

たまたま一緒になった北川啓太 from 劇団愉快犯とパンフレット見ながら「3年生で引退って考えたらすげえな」と話す。俺もう3回引退してる計算になるよ。

住野さんめっちゃ面白かった。

黄瀬が役者で出てるの見たかったな。

はまちゃんは目はめちゃくちゃダルそうで、体の芯からダルかったらやばかったかも。

ゲス森さんははまり役でしたな。

長坂さんが突如喋り出したとこのインパクトを越える、じりじりとした存在感をその後の演技で出せていたらすごいよかっただろうな。

75%ぐらいの進行度の時に、ちょっとつらかった。繰り返すがコンディションよくなかったし。

スクリーントーンをあまり使わない系の女の人が書く漫画っぽい。吉田秋生の「海街diary」を思い出したが、あまりそれ系読まないので適当ではない気がする。

妊娠・出産が明かされた時、ひっじょうに学生演劇っぽいと思った。陳腐って意味だけど、そこまで悪い意味では無い。ただ、あまりの唐突具合を演技でうまく吸収できていたかというと厳しい。

たとえば時計を見る時、たとえばディスプレイを見る時、その役者の目に何が写っているのか。物体としての時計、ディスプレイが目に入るだけでは不十分で、そこから何か読みとって、初めて「見る」ことになる。

具象舞台を使いきっていない。人ってもっといろんな物に触るでもなく触ったりしてるし、見ている。

具象舞台(に限らずだけど)での演技、一番身近な勉強法って、人と話してる時に、話してるふうを装って、自分を含めて観察することだと思う。会話って考えれば考えるほど意味分かんなくなるけど、普段はリラックスした状態でそういう奇跡の連続起こしてるんだからすごいすよね。

海ガラスは兄ちゃんだったんだろか。散々削られてしまったガラス。撒き散らされた海ガラスを拾い集めて話している女2人。最後にテーブルに残された海ガラス。僕だったらラストの暗転、環境音と海ガラスだけ10秒残すかもな。お客さんがラストの暗転前に芝居を思い返す時間、作れたら素敵だ。

なんとなく、「丁寧な演技」について考える。

会話のキャッチボール。普通に立つこと。表情。

いきなりやらせてできる人とそうじゃない人。

高校演劇時代、「感情のひだ」という言葉を聞いた。

感情は滅多に直線では動かない。いつもぐにぐにしていて、常に不定形。不定形だけど確かに形はある。いろんな刺激の連続の結果、怒ったり、笑ったり。

当然舞台でやるんだから日常そのままではないけど、それを素直に増幅する感じ。

(ちなみにいびつに増幅させるのが合田団地とか丸山交通公園の持ち味よね。オーバードライブというか、ディストーションというか。いびつでも使い所によっちゃバッチリかっこいい)

なんか、わし、頭でっかちだなあ。

観てて一番の感想は、「続けたらいいことあるよ」ってことなんだけどね。

おつかれさまでした。

私は如何にして心配するのを止めてハッシュタグを愛するようになったか

京都国際舞台芸術祭にハッシュタグを使え使えと粘着している近衛です。

ちなみに私が提唱する京都国際舞台芸術祭のハッシュタグは #KEX2012 です。

なぜ私がここまでハッシュタグ粘着を行なっているのか。

僕は喀血劇場の公演において、公演ごとにハッシュタグを決めて、お客さんに「是非ハッシュタグ付きでつぶやいてください!」って言うてます。

ハッシュタグの何が便利って、あとあと感想まとめを作る僕らもそうですけど、観に行こうかどうしようか迷ってる人が、「どんなんかなあ」って感想を調べる時に、やっぱり効力を発揮すると思うのです。

特に京都国際舞台芸術祭なんて、京都に遠征でやってきている人らがほとんどで、しかも1回来てそれっきりみたいな団体も多い。そういう「どんな人たちか分からない」「どんなことやってるか分からない」のを率先して観に行こうっていう人は、芝居(に限定するわけじゃないけど)をしている人であっても、お金に余裕があったり、アンテナをすごい張っていたり、意識高い(笑)人がほとんどなんだろうなと思うわけ。

その予想がその通りだったとしたら、これはものすごくもったいない。

はっきり言って、京都国際舞台芸術祭のサイトを見て、団体・個人の能書きを読んだところで、何も分かんないんですよ。それっぽい能書きなんていくらでも書けるわけで。

たとえばね。

日常において消費される関係性、些事として顧みられず積み重ねられるだけの乾燥した日々。喀血劇場の舞台に存在するのはそんな、「ただのいつものこと」でしかない。徹底的に物語としての盛り上がりを排除し、ある者はコンロで魚を焼き、ある者はプリンタの紙詰りに悩まさ、ある者はエスカレーターの手すりの掃除を続ける。しかし断片的な動作はいつしか、ひとつの視点のもとに再構築され、わたしたちの本当の「生活」を描き出す。そしてそれは、心の動き、客席を巻き込んだうねりとしてあふれだす。

(※即興で書いた。念の為に言うと喀血劇場はこんなんじゃないよ。)

こんなん書かれて意味分かるか? 分からんよ。

何が起こるか分かるか? 分からんよ。

面白いか分かるか? 分からんよ。

そういう能書きに踊らされてがっかりしたことがいっぱいあるから、そういうので観に行くのを決めるのはやめにした。

となると、あてにするのは 自分の直感と、観た人の感想ぐらいしかなくなるのですよ。

そうすると、TwitterユーザーのAさんは団体名で検索かけるわけ。

「ほー、ふむふむ」と。

一方、Twitterヘビーユーザーの僕は、ハッシュタグで検索かける。

そうすると、団体名が入ってなくても感想が引っかかる。

たとえば感想を連投する人っていますよね。僕もそうです。その時に、ひとつひとつのつぶやきにいちいち団体名書かないですよ。

ただし、ハッシュタグだって、そこまで浸透しているわけではないから、最初にも書いたように「ハッシュタグ付けてね☆彡」って何度も言います。

それにね。いちいち団体名入れるまでもないかってつぶやきであっても、観て面白かったって人は、ハッシュタグ入れてくれるんだって。「幸せだ」っていうなんでもないつぶやきが、「幸せだ #喀血07」ってなってたら、「そこまで言うなら観に行くか」って思う人もいるだろうし、喀血劇場の面々だって超幸せになるわけ。「楽しみだなー」っていうだけのつぶやきも「楽しみだなー #喀血07」って書いてあったら、検索でヒットしてそのつぶやきを見つけた人もなんか楽しくなるんじゃない? 喀血劇場の面々だって「がんばろう」ってなるんじゃない?

せっかくつぶやいてもらった感想を、しかもアンケートと違って気軽に共有できる感想を埋もれさせるなんて、それは演者にとってもったいないし、何より観に来てくれて、しかもつぶやいてくれた人に対してすまない気持ちになる。

だから、これからも私、ハッシュタグ粘着続けますよ。

京都国際舞台芸術祭に来てる面白い団体を僕が見逃さないために。

京都国際舞台芸術祭の統一ハッシュタグを勝手に決めよう

京都国際舞台芸術祭が開催中である。

意識の高い芝居人たる僕は、去年はフリンジを中心に観まくったのだが、今年は残念なことに諸々に忙殺されており、まだ男肉 du Soleilしか観ていない。ASA-CHANG&巡礼(ユニット名ね)とか非常に興味が惹かれるのだが、観に行けるか定かでない。

さて、その京都国際舞台芸術祭(以下、KEX)なんであるが、ツイッターの使い方が非常に下手である。2012年、世界はツイッターの炎に包まれており、ツイッター上の感想を観て芝居に足を運ぶことが、僕にはある。で、ツイッターにはハッシュタグという便利な機能があって、まあ合言葉みたいなもんですな。このハッシュタグを使えば、ツイッターで感想を共有することがとても簡単にできるのです。

A「今週末やってる喀血劇場、行こうかどうか迷ってんねんけど」
B「あー。ツイッターで感想調べたら? ハッシュタグが #喀血07 のはずやで」
A「なるほど。うわ、めっちゃいっぱいツイート出てきた」
B「みんな最高や言うとるな」
A「うん、ほんなら」
A・B「行くしかないで!」

みたいな。今週末、喀血劇場はやってませんけど。

だけどKEX、どうやらそのハッシュタグを決めてないみたいなんですね。感想をつぶやいてる人も付けてないし、当日会場で配られるパンフにちっちゃく書いてあるのかなと思ってフリンジのパンフ確認したけど、載ってないしね。

これ、アカンと思う。去年のKEX、特にフリンジで面白い舞台をいっぱい見たのだけど、客席が埋まっているわけでは決してなくて、運営側の人が「若い人間が観に来ない」と言ってて、「そんなん当たり前やんけ、どれほどの働きかけをしとるんや」と思って。今年もそこらへん克服でけんままなんかな。

なんちゅうかね、僕はKEXが何を目指してるのかよう分からんし、コンセプトに掲げている言葉も滲みてこない。だけど、上演してる演目は、面白いものもあるから、たくさんの人が観に行った方が、観に行くような仕掛けをした方がええんやないの、と思うのです。

というわけで勝手にハッシュタグ決めます。っていうか、もう決めました。

#KEX2012 です。

「観に行くぞー」とか「観てきたぞー」って時に是非 #KEX2012 を付けてつぶやいてください。「面白かった」や「つまらなかった」や「観るの楽しみだ」とか、そういう声が分かりやすく存在することが、僕は京都の芝居を盛り上げていく力になるのではないかと思っています。

ちなみにとっても分かりやすいハッシュタグの使い方はこちらのページに書いてあります。我が喀血劇場のサイトなんですけど、うちみたいに専任制作者のいない弱小劇団は口コミが命なので、いっぱいつぶやいてもらわないと大変なことになるのです。

で、余力があれば、 #KEX2012 が付いたつぶやきをtogetterというつぶやきまとめサイトでまとめてみようかな、とも思っています。まとめる時には、勝手に引用するのではなくて、ユーザーに一声かけて許可をいただいてからにしますのでご安心を。