適刊・近衛虚作

喀血劇場主宰・近衛虚作(このえ・うろつく)がつれづれに侍るままに、由無し事ども書きつくるなり

補修が終わった吉田寮食堂に行ってきた

週末、京都に滞在し、怒涛の日程を消化してきました。
ほんで吉田寮に行き、新しくなった吉田寮食堂と、
新たに建設された吉田寮の西寮(新棟)を堪能してきました。
誤解してる人が多いですが、もともとの吉田寮は存命で、食堂が新しくなって、
食堂の西側にあった通称・焼け跡と呼ばれるところに新しい建物が追加された状態です。
吉田寮食堂は食堂という名前でありながら、芝居やらライブやらが行われる
ちょっとへんてこなところで、僕個人にとってはホームグラウンドみたいなもんです。

吉田寮食堂の内部は、結構びっくりするぐらい、以前の状態を意識して工事されていて、
設計した人らも遊びながら仕事してくれたんならうれしいなと思いました。

新棟のほうは、まあきれいな建物やねって感じで、
今はよそ行きみたいな顔をしてますが、
あとは住む人たちがどうするか次第だなと。

吉田寮は長いこと大学当局から「老朽化している」と指摘されており、
寮生たちも長いことどうすっぺかと話し合いを続けています。
話し合っていると、建て替えたほうがいいとか、
補修したほうがいいとか、いろいろな意見が出るわけです。

吉田寮100年の歴史のうち、僕が在寮していたのは10年間ですが、
その期間に一人だけ明確に「老朽派」を名乗っていたやつがいます。
そいつは吉田寮がボロボロに朽ちていくことに意義を見出したわけですな。
僕自身、そいつの言ってたことには一定のシンパシーを感じていて、
ボロボロの建物っていうのは、そこに住んでた人のいろいろな記録の集大成でもあり、
それはとても優しいものなのではないかと思うのです。

僕は在寮中、吉田寮は食堂を含めて、絶対に補修して、
今のかたちをできる限り残すべきだと主張してました。
その根拠はいろいろとあるのですが、一番根っこの部分では、
僕が入寮した当初から既にボロボロだった吉田寮に、
そういう優しさ的なものを感じていたのでしょう。

ユニコーンの5枚目のフルアルバム『ヒゲとボイン』の中に、
『家』という大層地味な曲があります。
道路拡張の工事に引っかかった家が取り壊されて、
新しい家に引っ越したという歌なのですが、
もともとこの曲のことが好きだったうえに、
2008年頃に新寮建て替えの話が降って沸いた時期には、
個人的なアンセムにまで昇華され、寮祭で弾き語ったりもしました。

新生吉田寮食堂に立ち入れるようになったことは知っていたし、
知り合いが撮った写真も送ってもらっていたのですが、
はたして自分が実際にその姿を見たときにどう思うかなと、
ちょっとばかしどきどきしながらの対面でありましたが、
中に入ると、壁が白くなったけど、意外とそのままんまでワロタという気持ちと、
ここでこれから何をしてくれようかというわくわくした気分になりました。

結局、僕にとっては、ぼろさこそが吉田寮食堂であるというわけではなかったようです。
もちろん、補修前の吉田寮食堂との連続性を保っているからこそかもしれませんが、
がらんとした空間が「てめえはここで何をするのだ」と言ってくるのは、
以前の吉田寮食堂から何も変わらないなと思いました。

寮をどう運営するかの根本は吉田寮では寮自治会に委ねられてまして、
食堂においては、外部の使用者やらも一緒にいろいろ話したりしつつも、
最終的な決定権はやはり寮自治会が持ってるもんだと認識してます。
願わくは、食堂でいろいろな経験をした寮生たちが、
思いもよらない変なことを食堂でしでかしてほしいと思う所存です。

ちなみに吉田寮の新棟ですが、こちらも笑えるぐらいに、
木造建築を意識した外見となっていて、
これを見たときから、もともとの吉田寮は補修こそあれ、
建て替えはねえだろと確信した次第であります。

f:id:urotsuqu:20150320145434j:plain

東大路から吉田寮玄関を写す。手前左の建物が吉田寮新棟。
食堂は新棟に、吉田寮はトラックに隠れて見えないが元気にしてる。