適刊・近衛虚作

喀血劇場主宰・近衛虚作(このえ・うろつく)がつれづれに侍るままに、由無し事ども書きつくるなり

雪の演劇祭2015で考えたこと - 総論というか前置き?

盛岡からの新幹線車上なう。
岩手県和賀郡西和賀町で行われた雪の演劇祭2015の帰り道である。
西和賀から東京に帰るなら、JR北上線に乗って北上まで出て、
そこから新幹線に乗ればいいのだが、盛岡の冷麺を食わずに帰るわけにはいかない。

さて、雪の演劇祭
2012年から3年間、夏の西和賀町で開催されるプレイ・タウンにかかわってきたが、
その縁で、今回の雪の演劇祭にコメンテーターとして呼んでもらった。
コメンテーターってなにすんのって、それは各団体の上演を見てコメントするわけだ。
そういうのは高間響国際舞台芸術祭というふざけた名前のイベント以来だった。

雪の演劇祭は合宿事業ということで、
やはり主催者側の意識が通常の演劇祭とはずいぶん異なる。
誤解を恐れずに言えば、上演する作品の質を第一には考えていない。
しかも合宿の地は、過疎と高齢化が絶賛進行中の人口6000人の町、西和賀である。
僕が3年間、夏の企画に参加して、ここで何かをやるというのなら、
ただ演劇を作るだけでは、普通なら出会わなかった人と出会うことこそが、
その最大の目的なのではないかと感じている。

僕が実行委員である森くんと、たまたま出会わなければ(Twitterで絡んだ)、
僕は西和賀町には一生行かなかったし、
TOEICの日づけを間違えて英語0点にもかかわらず院試に合格する人、
混浴があるべき姿だと力説する大学生といった年齢が近い人々ならともかく、
旅館組合の人や、観光協会の人や、町の職員、
地域の雪上すもう大会で取組よりもギャグに力をいれるおっさん、
生コン屋の息子、地域おこし協力隊員とは友達になる機会はなかっただろうし、
盛岡で冷麺を食うことも、なかったことはないにせよ、ずいぶん遅くなったことだろう。

そういうさまざまな出会いが僕の劇作に直接的に影響を与えた部分もあるし、
多分今後も、まだ今は水面化でくすぶっているものが、次第に形を成すこともあるはずだ。

自分の外から影響を受けるっていうのは、
大学に行ってても、バイトしてても、人と付き合っててもあることだし、
そんなもん西和賀みたいなとこに行かなくても十分摂取できてるよって人もいるんだろうが、
あいにく僕は人見知りの出不精なもので、
こんなにいろいろな立場・年齢の人々と友達になれるとは予想だにしていなかった。
演劇を通じて自分の世界を広げるっていうのはこういうことなんだなあとしみじみ思う。

演じるためには、舞台上や客席で起こっていることを感じることが重要なわけだが、
劇場を飛び出して、町やそこに住む人々のことを少しでも感じてみるのは悪くない。
もちろん合宿期間は一つの芝居を作るには短く、稽古に明け暮れてしまうのが常だろうから、
もっとよく知りたいと思えば、僕みたいに時折ふらふらと遊びにいく必要がある。

その点で言えば、西和賀町の町おこしは、少なくとも僕一人ぶんは成功しているし、
実際はもっと成功していて、これからはもっと成功する可能性があると思っている。

今回の雪の演劇祭、個人的ハイライトは、穴掘りとすもうなのだが、
それを含めた滞在中の出来事は、明日にでも書く。
なにしろ冷麺屋をはしごして腹いっぱい。頭が回んないしね。