適刊・近衛虚作

喀血劇場主宰・近衛虚作(このえ・うろつく)がつれづれに侍るままに、由無し事ども書きつくるなり

喀血劇場第八幕『No.CPR』がとっくに終わったという話

喀血劇場第八幕『No.CPR』、全日程終了しております。

お客さん、関係者の皆さん、ありがとうございました。

終わってみればそれなりにしやわせでありました。

 

以下は、特にお客さんとして公演を観た方にとっては、どーでもいいことしか書いていないので、別に読まなくてもいいのです。公演後のデトックスだと思ってください。少なくとも僕は人の糞詰まりとか、その成れの果てにはそんなに興味ないですし。

 

第35回Kyoto演劇フェスティバルに京都学生演劇祭推薦団体として招聘されての公演ということで、大学生でもない僕が脚本・演出をしてきたわけです。

この「京都学生演劇祭推薦団体としてKyoto演劇フェスティバルに参加しました。俺は学生じゃねえけどな!(まさに外道)」と人に説明するたびに、とってもややこしくて面倒臭いなあと思い続けています。10年学部生をやってたというのも、人に説明するのに飽々しているわけですが、人というものは大して人に興味もないくせに何でこんなにいろいろ聞きたがるんでしょうね。ぷんすか。

 

さて、『No.CPR』ですが、最初は「自分で書いておいて何が面白いのかわからない」という状態から始まり、稽古が進んでいくと、「これは今まで自分が書いた中で一番面白いじゃないか」という揺り戻しのような高揚感を経て、本番前日のリハーサルでは、客席という名の暗闇にすべてが吸い込まれて消えていくような感覚がして、「やっぱりやばいかもしれない。でも誰一人笑わなくても、俺は書きたいことを書いて殺される(誰に?)のだから後悔はない」というぐにゃぐにゃな精神状態でたった1回きりの本番を迎えたわけです。

 

で、本番はどうだったかというと、まるで仕込んでいたかのような大受けでびっくりしました。

びっくりしましたっていうか、今回は僕も出演していたのですが、舞台上で「こいつら、何でこんなに笑ってんだ。大丈夫か。日々の生活がそんなに楽しくないのか」てなふうに、むしろ引いてました。引いてましたとか書くと、今後笑ってもらえないかもしれないので、もう少し注意深く書くと、要は自分の脚本・演出と客層、そのあたりを見誤っていたんだろうなと、「あちゃー」と頭の片隅で考えながら演技してしまっていたわけです。もっとシビアな客席を想定していて、そのうえでいろいろ企んでいたことがあったので、その予測が狂って慌てたという感じなのかもしれません。だけど失礼なやつですね、どうでもいいこと考えながら演技するなんて。でも演技はちゃんと一生懸命やりました。舞台に立ってる人は普段の何倍も頭を使っているから、そういうのはちゃんと両立するんです。

っていうか、別に今まで喀血劇場でやってきた話だって、そんなに笑えない状況を僕もお客さんも笑っていたりするので、やってることは結局変わってないのだから、そらお客さんの反応も変わらないわなとか終わったあとに思ったりしました。

 

ただまあ、脚本の在り方も含めて演出という点でいえば、今回はこれまでと明らかに異なる、客席を突き放しにかかったものだったわけで、中学生でも冷めているとこがある子なら「何だったんだあれは」となったのではないかなと思っています。一部では「前衛芸術めいた。実際気取っている」という声もあるだろうけど、そう映ってしまったのならそれはまた僕の力不足で、お客さんに見せたいものがあったゆえに、誠意と感謝でもって全身全霊で突き放すための演出なんですよ、あれは。何だか言い訳みたいに聞こえるし、何に対しての言い訳なんだかもよくわかんないので、話を一旦止めますけども。だけど、「何だったんだあれは」で終わってしまっていたら、僕が散々毛嫌いする演劇の分野と重なってしまうので、もっと丁寧さが必要なんだろうなとも思って、だから言い訳じみてるから、話を一旦止めるっつうの。

 

今回の脚本に限らず、僕は大体脚本を書くときは一筆書きで、いろいろ考えてたの全部なしで結局頭からけつまでバババッと(そんなに早くないけど。むしろ最近とても遅い。)書きあげるんだけど、脚本が書き上がっても「この話って、ほんとに面白いの?」というのは今回に限らず思っていて、去年の3月の公演も今回も、宣伝するのにどうしても躊躇してしまって、結果、見てほしかった人に見てもらえないということを、またやってしまったというのが、今回の一番の反省です。何のかんのいって、舞台上に上げるときには何とか間に合わせることができるようなので、今後はスケジュールが決まった途端にきちんと宣伝しようと思いました。そう思ったときに、すごく大人になったなとびっくりしました。同時にそんなふにゃふにゃな根性で金を取っていたのかというのにもびっくりですが。

 

つーことで、今回の公演を経て、私、大人になれました。やった!

そしてもう少したらたら書く。

 

・音響効果

マイブーム的というか、マイヘイト的というか、劇中で曲をかけるのが嫌になってきたので、極力曲をかけることなく済ませたいと思っている。

去年の3月の『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』はかけたけどね。

去年の9月の『ラストオーダー』でもかけたわ。

去年の10月の『うつしまパンデミック地獄庚申講踊る亡者の膝栗毛R』でもかけてるわ。

かけてるやん、普通に。

解散、解散。

ともかく、『No.CPR』はスピーカーからは何の音も出さない芝居でした。

芝居のたびに蝉の声を入れたくなるんですが、今回はグッと我慢してスピーカーからは出しませんでした。

自分でMIXした「蝉10分.mp3」を第五幕、六、七と使ってきたのですが、今回はお留守番でした。

もう「蝉10分.mp3」をかけたくてかけてくて仕方ないので、多分、次の公演ではかかるんではないでしょうか。次がいつかわかりませんけど。

 

・デカブツ

『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』に引き続き、今回も飛び道具がまさに跳んでいたわけですが、あれに無駄に金をかけたせいで痩せました。場当たり的に適当に物を買って、場当たり的に適当に飛び道具を作るのは、(適当に作ることに意図があるとはいえ)もうやめようと思います。そう考えるだけ、その点でも大人になりました。考えてるだけだとまた同じことをやりそうだけど。

 

・剽窃とリスペクト

例のキモイ系ご当地ゆるキャラをパクった。

蝉の声はつるの剛士をパクった。

あるシーンでWANDERING PARTYのあごうさんの演出をパクった。

ざっと思いつくだけでこれだけは確実にパクっている。ありがとうございます。パクらせていただきました。

というか、よくよく考えてみると、セリフでしゃべっていることと、会話劇で想定される役者の動きや空気をまるで違えることで、イメージを際立たせるという僕が時々やる手法は、直接的にはあごうさん(の演出)に起因している気がする。いつかちゃんと話せたらいいな。(ちょっとビビっている。)

 

・深読み

ちょっと話は戻るけど、今回の話は、すんごく単純な話で、開幕からそれをプンプンに匂わせているし、「やっぱり結局そういうことなのね」と思ってもらうために、いっぱい仕掛けもしたんだけど、その仕掛けが意図せずして無駄に考えさせてしまったり、逆に話をわからなくさせていたら嫌だなあ、困るなあと思うわけです。「考えさせられる。実際深い!」なんていうほどの深みはないし、それを一番わかっているのは僕自身なわけで。僕としては「こんなことってあるよねえ」という娯楽を提供したいんであって、「てめえらどう思ってんだ、オラァ」なんて考えることを強要させたくはないわけです。だって金も時間も使わせて、さらに観たあとに考えろ、脳みそ使えとまでいうのは、例えば僕が観に行ってそういうのをやられると腹が立つわけです。今回、結末が結末なので、それ以上あれこれ考える人はあまりいないかなとは思うのですが、実は一歩間違えると自分の正義的に非常に危なかったのではないかと考えています。まあそもそも僕のもろもろの感覚が合っているという確証もないわけですが。ともかく、僕はこれからも(大学に10年も通った)インテリゲンチャの側からインテリゲンチャをばかにしていく所存です。

 

・役者陣

喀血劇場に出演する人は、その場のノリではないクレバーな(←これ大事)むちゃ振りを背負わされるんですけど、今回もよくブチギレ者や死傷者が出なかったなと胸をなでおろしています。学生演劇祭から引き続き喀血劇場に絡め取られた古野・岡本といったいつものメンツに加え、学生演劇祭では離反していた北川、中西といった旧知に加え、謎のおっさんどもの渦に放り込まれたかわいそうな高校生、あかりちゃんも、皆さんおつかれさまでした。

もう一人、酒井は実は僕と同い年で、彼とはもうかれこそ10年来のつき合いです。知り合った当初には考えられなかったのですが、謎の悲哀を歳相応に、ひょっとすると実年齢以上に感じさせる役者になりました。驚きです。彼もまた、左京区によくいるようなひねくれた面倒臭いメンタリティの持ち主で、なおかつ露出が多くない人間なので、現状はツチノコより少しマシぐらいの認知度だと思いますが、今の京都小劇場界隈を考えるに彼の出番はもっとあるはずではないかなと。まあ本人がどうしたいのかが一番の問題ですけどね。

 

 

というわけで大体デトックスも終わり。

体が軽くなったので東京に引っ越します。