適刊・近衛虚作

喀血劇場主宰・近衛虚作(このえ・うろつく)がつれづれに侍るままに、由無し事ども書きつくるなり

私は如何にして心配するのを止めてハッシュタグを愛するようになったか

京都国際舞台芸術祭にハッシュタグを使え使えと粘着している近衛です。

ちなみに私が提唱する京都国際舞台芸術祭のハッシュタグは #KEX2012 です。

なぜ私がここまでハッシュタグ粘着を行なっているのか。

僕は喀血劇場の公演において、公演ごとにハッシュタグを決めて、お客さんに「是非ハッシュタグ付きでつぶやいてください!」って言うてます。

ハッシュタグの何が便利って、あとあと感想まとめを作る僕らもそうですけど、観に行こうかどうしようか迷ってる人が、「どんなんかなあ」って感想を調べる時に、やっぱり効力を発揮すると思うのです。

特に京都国際舞台芸術祭なんて、京都に遠征でやってきている人らがほとんどで、しかも1回来てそれっきりみたいな団体も多い。そういう「どんな人たちか分からない」「どんなことやってるか分からない」のを率先して観に行こうっていう人は、芝居(に限定するわけじゃないけど)をしている人であっても、お金に余裕があったり、アンテナをすごい張っていたり、意識高い(笑)人がほとんどなんだろうなと思うわけ。

その予想がその通りだったとしたら、これはものすごくもったいない。

はっきり言って、京都国際舞台芸術祭のサイトを見て、団体・個人の能書きを読んだところで、何も分かんないんですよ。それっぽい能書きなんていくらでも書けるわけで。

たとえばね。

日常において消費される関係性、些事として顧みられず積み重ねられるだけの乾燥した日々。喀血劇場の舞台に存在するのはそんな、「ただのいつものこと」でしかない。徹底的に物語としての盛り上がりを排除し、ある者はコンロで魚を焼き、ある者はプリンタの紙詰りに悩まさ、ある者はエスカレーターの手すりの掃除を続ける。しかし断片的な動作はいつしか、ひとつの視点のもとに再構築され、わたしたちの本当の「生活」を描き出す。そしてそれは、心の動き、客席を巻き込んだうねりとしてあふれだす。

(※即興で書いた。念の為に言うと喀血劇場はこんなんじゃないよ。)

こんなん書かれて意味分かるか? 分からんよ。

何が起こるか分かるか? 分からんよ。

面白いか分かるか? 分からんよ。

そういう能書きに踊らされてがっかりしたことがいっぱいあるから、そういうので観に行くのを決めるのはやめにした。

となると、あてにするのは 自分の直感と、観た人の感想ぐらいしかなくなるのですよ。

そうすると、TwitterユーザーのAさんは団体名で検索かけるわけ。

「ほー、ふむふむ」と。

一方、Twitterヘビーユーザーの僕は、ハッシュタグで検索かける。

そうすると、団体名が入ってなくても感想が引っかかる。

たとえば感想を連投する人っていますよね。僕もそうです。その時に、ひとつひとつのつぶやきにいちいち団体名書かないですよ。

ただし、ハッシュタグだって、そこまで浸透しているわけではないから、最初にも書いたように「ハッシュタグ付けてね☆彡」って何度も言います。

それにね。いちいち団体名入れるまでもないかってつぶやきであっても、観て面白かったって人は、ハッシュタグ入れてくれるんだって。「幸せだ」っていうなんでもないつぶやきが、「幸せだ #喀血07」ってなってたら、「そこまで言うなら観に行くか」って思う人もいるだろうし、喀血劇場の面々だって超幸せになるわけ。「楽しみだなー」っていうだけのつぶやきも「楽しみだなー #喀血07」って書いてあったら、検索でヒットしてそのつぶやきを見つけた人もなんか楽しくなるんじゃない? 喀血劇場の面々だって「がんばろう」ってなるんじゃない?

せっかくつぶやいてもらった感想を、しかもアンケートと違って気軽に共有できる感想を埋もれさせるなんて、それは演者にとってもったいないし、何より観に来てくれて、しかもつぶやいてくれた人に対してすまない気持ちになる。

だから、これからも私、ハッシュタグ粘着続けますよ。

京都国際舞台芸術祭に来てる面白い団体を僕が見逃さないために。