適刊・近衛虚作

喀血劇場主宰・近衛虚作(このえ・うろつく)がつれづれに侍るままに、由無し事ども書きつくるなり

劇団野の上『臭う女(黒)〜におうひと ノワール〜』感想

劇団野の上『臭う女(黒)〜におうひと ノワール〜』、22日夜の回を見た。

劇団野の上は京都で見た京都で『臭う女』以来、3年ぶり2回目。
僕はその最初の『臭う女』を見て、人生しょうがないことはあるよなーっていう中に、でも明日はいい日かもね、みたいな、そういう感じを受け取って、ほんまええ話やなあと思って、そのときの自分の身の上のこととかを考えて途中で号泣してしまったのであった。(観劇とはことごとく個人的な体験である。)

で、今回見て、僕は泣きはしなかった。
前半は前回同様、しょうがないことってあるよなーっていう感じで、登場人物も愛くるしさ全開だったんだけど、後半のやるせない怒りを各々が、ぶつける対象を絶対に間違ってるんだけど、ぶつけ合うあたりは、怒りの矛先は自分にも向けられているんだろうなと思うと、やはり「うぐぐ」となったりした。

要は畑作業をしていた人たちが「資本主義」の「日本」の「青森」で、「農業」をしてて、「家族」は古き良き日本の家庭像からはずれたものであって、その中でごちゃごちゃしてぐちゃぐちゃして、流されるままに生きていたら破綻したという話だと思うんだけど、そんないろんなことに対して、「怒ってもしょうがないことなんだけど怒ってるぞ」というような、そういうのを僕は受け取った。もちろん同時に登場人物はみんな自分にも怒ってると思うけど。
金を稼がなきゃいけなくて、その原因は自分にあったり、自分以外にあったりするけど、何でこんな思いして金を稼がにゃならんのだ、しかも中間搾取されてるぞみたいな。代々農家やってて、自分も農家やってるだけなのに、何でこんな目に遭うんだみたいな。そらあんたが、薄々未来は見えていたろうに、それを回避する決断をしなかったからよ。だけど、そんなこと、なかなかできねえよなみたいな。

すごく深読みすれば、青森の芝居人が青森の言葉で芝居をすることは何もおかしなことではないんだけど、それを東京でやるということに対してもやるせない気持ちもあるのかなとも思った。方言で上演される芝居ってエネルギッシュだとか、臨場感があったとか、受け取りやすい言葉で言えばそうなんだけど、一方で、その方言の話者でなかったり、もしくは日本の中心たる東京(そこの名古屋人、文句を言うな)人にとっては、どこかで奇異なものであったり、後進的な土着文化に映っていたりっていうのはやっぱり一定はあるんではないかと思う。そのときに、津軽弁であったり、南部の言葉であったりで芝居をするっていうのは、武器になると同時に、見世物でもあるよな、と今回、考えたのだった。というか、やってる側が考えてなくても、特に地方から出てきて東京に住んでる人間はそういうこと考える人はいるだろうなと。まあ僕が現住所が東京にある、京都経由の鹿児島人だから勝手にそう思ってるだけかもしれんけど。

まあいろいろコチャコチャ書いたけど、やっぱり面白かった。間抜けだなあと思いながら。
あの舞台装置で切った張ったをやるのとか、なぜダンスとか。いいねえ、とニヤニヤした。
だけど、銃がしょぼかった。
圧倒的な暴力の象徴の銃が、なぜか通用しないっていうギャグなのかと思って、だったらまあそんな感じかなと思っていたら、さらにどんでん返しでみんな死ぬんかいって混乱した。
このままじゃみんな死ぬぜ、なのか、殺してやるぜ、なのか。
まあどっちでもいいかなと思うけど。

面白かったけど、スカッとはしなかったな。
まあスカッとしたくて芝居見てるわけじゃないからいいんだけど。
なんか、この、こう、モヤモヤする。

今年も岩手県西和賀でお芝居作ります

夏の西和賀町に訪れるのは、今年で三度目になる。そしてそのたびごとに、町の新しい姿を発見してきた。最初の滞在で、西和賀町は僕にとって涼しくてのどかな町でしかなかった。二度目は深刻な過疎と高齢化を抱える町の姿に気付いた。今年の夏は何を見つけるだろう。

 

東日本大震災で甚大な被害を受けた釜石や大船渡といった岩手県沿岸部。そこから内陸にずずいっと進むと、秋田県との県境に西和賀町がある。町を最初に訪れたのは2012年の夏。ささいなことから知り合った実行委員に熱いプレゼンを受けてのことだった。そのとき僕は京都に住んでいたが、西和賀町に乗り込む直前には東京で公演を行っていた。うだるような京都の蒸し暑さ、東京の都会特有の熱気、そこから鈍行でのんびり14時間かけて(途中で大雨で電車が止まった)乗り込んだ西和賀町は驚くほど涼しく、あとから聞くには実は異例の涼しさだったらしいが、これがこの世の極楽かととろけきった顔で一週間を過ごすことになる。

この年は初対面の四人と班を組んで芝居を作ることになった。僕が脚本と演出を担当することになったが、完全に手ぶらで何の準備もせずに町に乗り込んだので、取材と称して駅で乗り降りする町の人を眺めたり、町をぶらつきながら木々の匂いと虫の声を浴びたりした。結局、僕が西和賀町に到達する直前の北上という街で実際に遭遇した花火大会を題材に、20分の小品を作った。とてもかわいらしい作品になった。

 

二年目の夏、今度は全国から集まってくる学生たちが一丸となって一つの作品を作り上げることになった。脚本と演出は僕だ。六月から八月の本番が終わるまでの二ヶ月、僕は町の人に居候させてもらいながら、取材を行った。そして一年目には見えなかったいろいろなものが見えてきた。西和賀町は乳児の年間死亡ゼロの達成など医療で知られた沢内村と、温泉の湧き出る観光地である湯田町が合併して生まれた町だ。合併から10年たった今も、もともとの自治体ごとの気風の違いはいまだに残っている。そして過疎と高齢化の問題だ。日本は2040年に自治体の半分で人口が半減するらしい。そんな遠い未来のことはうまく想像することができない。しかし、それよりももっと早くに、町が機能しなくなるほどに人がいなくなる西和賀町の姿が想像でもましてや妄想でもなく、僕にははっきりと見えた。

都会住まいの人間の目線から見れば、西和賀は確かに退屈だが、毎年夏に訪れてもいいほどに、この町の空気、のどかさは心地のいいものだ。しかしそれは外からやってくるお客さんだけが享受できるものであって、町の人間にとってみれば、それは真っ暗な夜がやってくる直前、黄昏の美しさでしかない。そう思った。実際には町の人々の間でも危機感には大きな差があって、問題はより複雑で困難さを増している。このプレイ・タウンという取り組みも、ただの合宿事業ではなく、町をアピールするためのものでもある。

脚本は難産だった。一年目に書いたような、かわいらしい話ではいけないと思ったからだ。このままではきっと滅びるこの町が、それでも町を外に対して開こうとしているその姿勢を、どうにか脚本に生かそうとした。締め切りを何度か延長して完成した脚本は『鬼剣舞甲子園二〇二八』。15年後の、まるで西和賀のような町の話だ。西和賀町の伝統芸能、鬼剣舞が滅びようとする中で、西和賀とそっくりな町の高校生が不純な動機から「鬼剣舞甲子園」での入賞を目指す。概要だけかいつまむと、間抜けなタイトルと使い古された設定だと思うだろう。実際僕もそう思う。しかし、この作品は、その上演を見ていた、鬼剣舞の数少ない担い手である青年の心をえぐった。彼は「絶対に鬼剣舞を滅びさせない」と言った。

 

そんなこんなで三年目である。今年のプレイ・タウンの演目は『鬼剣舞甲子園二〇二八』。つまり去年の再演だ。ただし再演とはいえ、全国から西和賀を目指してやってくる学生たちの顔ぶれは違うものだし、脚本だって演出だって手を入れる。しかも今年は、これまでの滞在を倍にして、二週間もの期間を西和賀で過ごすことになるし、お盆に行われる成人式ではその途中経過の上演も行う。仙台に出かけていって、交流イベントまでやったりする。できあがるものは、幕が上がるまでわからない。ただ言えるのは、この二週間で何も感じない不感症体質であるならば、ここから先、どこへ行っても、何をやっても、あなたの心は震えないだろうということだ。

 

つらつらと書き綴ってきたが、実のところ僕はまったくもって気さくな人間で、お芝居大好きな少年のような心を持っている。だから今年の夏を、また西和賀で、全国からやってきた奇特な人たちと町の人間と過ごすのがたまらなく楽しみなのだ。要は西和賀町で二週間ともに過ごして、一度きりの逢瀬だろうと、それを目一杯楽しみませんかと、そういうお誘いなのである。

喀血劇場第八幕『No.CPR』がとっくに終わったという話

喀血劇場第八幕『No.CPR』、全日程終了しております。

お客さん、関係者の皆さん、ありがとうございました。

終わってみればそれなりにしやわせでありました。

 

以下は、特にお客さんとして公演を観た方にとっては、どーでもいいことしか書いていないので、別に読まなくてもいいのです。公演後のデトックスだと思ってください。少なくとも僕は人の糞詰まりとか、その成れの果てにはそんなに興味ないですし。

 

第35回Kyoto演劇フェスティバルに京都学生演劇祭推薦団体として招聘されての公演ということで、大学生でもない僕が脚本・演出をしてきたわけです。

この「京都学生演劇祭推薦団体としてKyoto演劇フェスティバルに参加しました。俺は学生じゃねえけどな!(まさに外道)」と人に説明するたびに、とってもややこしくて面倒臭いなあと思い続けています。10年学部生をやってたというのも、人に説明するのに飽々しているわけですが、人というものは大して人に興味もないくせに何でこんなにいろいろ聞きたがるんでしょうね。ぷんすか。

 

さて、『No.CPR』ですが、最初は「自分で書いておいて何が面白いのかわからない」という状態から始まり、稽古が進んでいくと、「これは今まで自分が書いた中で一番面白いじゃないか」という揺り戻しのような高揚感を経て、本番前日のリハーサルでは、客席という名の暗闇にすべてが吸い込まれて消えていくような感覚がして、「やっぱりやばいかもしれない。でも誰一人笑わなくても、俺は書きたいことを書いて殺される(誰に?)のだから後悔はない」というぐにゃぐにゃな精神状態でたった1回きりの本番を迎えたわけです。

 

で、本番はどうだったかというと、まるで仕込んでいたかのような大受けでびっくりしました。

びっくりしましたっていうか、今回は僕も出演していたのですが、舞台上で「こいつら、何でこんなに笑ってんだ。大丈夫か。日々の生活がそんなに楽しくないのか」てなふうに、むしろ引いてました。引いてましたとか書くと、今後笑ってもらえないかもしれないので、もう少し注意深く書くと、要は自分の脚本・演出と客層、そのあたりを見誤っていたんだろうなと、「あちゃー」と頭の片隅で考えながら演技してしまっていたわけです。もっとシビアな客席を想定していて、そのうえでいろいろ企んでいたことがあったので、その予測が狂って慌てたという感じなのかもしれません。だけど失礼なやつですね、どうでもいいこと考えながら演技するなんて。でも演技はちゃんと一生懸命やりました。舞台に立ってる人は普段の何倍も頭を使っているから、そういうのはちゃんと両立するんです。

っていうか、別に今まで喀血劇場でやってきた話だって、そんなに笑えない状況を僕もお客さんも笑っていたりするので、やってることは結局変わってないのだから、そらお客さんの反応も変わらないわなとか終わったあとに思ったりしました。

 

ただまあ、脚本の在り方も含めて演出という点でいえば、今回はこれまでと明らかに異なる、客席を突き放しにかかったものだったわけで、中学生でも冷めているとこがある子なら「何だったんだあれは」となったのではないかなと思っています。一部では「前衛芸術めいた。実際気取っている」という声もあるだろうけど、そう映ってしまったのならそれはまた僕の力不足で、お客さんに見せたいものがあったゆえに、誠意と感謝でもって全身全霊で突き放すための演出なんですよ、あれは。何だか言い訳みたいに聞こえるし、何に対しての言い訳なんだかもよくわかんないので、話を一旦止めますけども。だけど、「何だったんだあれは」で終わってしまっていたら、僕が散々毛嫌いする演劇の分野と重なってしまうので、もっと丁寧さが必要なんだろうなとも思って、だから言い訳じみてるから、話を一旦止めるっつうの。

 

今回の脚本に限らず、僕は大体脚本を書くときは一筆書きで、いろいろ考えてたの全部なしで結局頭からけつまでバババッと(そんなに早くないけど。むしろ最近とても遅い。)書きあげるんだけど、脚本が書き上がっても「この話って、ほんとに面白いの?」というのは今回に限らず思っていて、去年の3月の公演も今回も、宣伝するのにどうしても躊躇してしまって、結果、見てほしかった人に見てもらえないということを、またやってしまったというのが、今回の一番の反省です。何のかんのいって、舞台上に上げるときには何とか間に合わせることができるようなので、今後はスケジュールが決まった途端にきちんと宣伝しようと思いました。そう思ったときに、すごく大人になったなとびっくりしました。同時にそんなふにゃふにゃな根性で金を取っていたのかというのにもびっくりですが。

 

つーことで、今回の公演を経て、私、大人になれました。やった!

そしてもう少したらたら書く。

 

・音響効果

マイブーム的というか、マイヘイト的というか、劇中で曲をかけるのが嫌になってきたので、極力曲をかけることなく済ませたいと思っている。

去年の3月の『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』はかけたけどね。

去年の9月の『ラストオーダー』でもかけたわ。

去年の10月の『うつしまパンデミック地獄庚申講踊る亡者の膝栗毛R』でもかけてるわ。

かけてるやん、普通に。

解散、解散。

ともかく、『No.CPR』はスピーカーからは何の音も出さない芝居でした。

芝居のたびに蝉の声を入れたくなるんですが、今回はグッと我慢してスピーカーからは出しませんでした。

自分でMIXした「蝉10分.mp3」を第五幕、六、七と使ってきたのですが、今回はお留守番でした。

もう「蝉10分.mp3」をかけたくてかけてくて仕方ないので、多分、次の公演ではかかるんではないでしょうか。次がいつかわかりませんけど。

 

・デカブツ

『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』に引き続き、今回も飛び道具がまさに跳んでいたわけですが、あれに無駄に金をかけたせいで痩せました。場当たり的に適当に物を買って、場当たり的に適当に飛び道具を作るのは、(適当に作ることに意図があるとはいえ)もうやめようと思います。そう考えるだけ、その点でも大人になりました。考えてるだけだとまた同じことをやりそうだけど。

 

・剽窃とリスペクト

例のキモイ系ご当地ゆるキャラをパクった。

蝉の声はつるの剛士をパクった。

あるシーンでWANDERING PARTYのあごうさんの演出をパクった。

ざっと思いつくだけでこれだけは確実にパクっている。ありがとうございます。パクらせていただきました。

というか、よくよく考えてみると、セリフでしゃべっていることと、会話劇で想定される役者の動きや空気をまるで違えることで、イメージを際立たせるという僕が時々やる手法は、直接的にはあごうさん(の演出)に起因している気がする。いつかちゃんと話せたらいいな。(ちょっとビビっている。)

 

・深読み

ちょっと話は戻るけど、今回の話は、すんごく単純な話で、開幕からそれをプンプンに匂わせているし、「やっぱり結局そういうことなのね」と思ってもらうために、いっぱい仕掛けもしたんだけど、その仕掛けが意図せずして無駄に考えさせてしまったり、逆に話をわからなくさせていたら嫌だなあ、困るなあと思うわけです。「考えさせられる。実際深い!」なんていうほどの深みはないし、それを一番わかっているのは僕自身なわけで。僕としては「こんなことってあるよねえ」という娯楽を提供したいんであって、「てめえらどう思ってんだ、オラァ」なんて考えることを強要させたくはないわけです。だって金も時間も使わせて、さらに観たあとに考えろ、脳みそ使えとまでいうのは、例えば僕が観に行ってそういうのをやられると腹が立つわけです。今回、結末が結末なので、それ以上あれこれ考える人はあまりいないかなとは思うのですが、実は一歩間違えると自分の正義的に非常に危なかったのではないかと考えています。まあそもそも僕のもろもろの感覚が合っているという確証もないわけですが。ともかく、僕はこれからも(大学に10年も通った)インテリゲンチャの側からインテリゲンチャをばかにしていく所存です。

 

・役者陣

喀血劇場に出演する人は、その場のノリではないクレバーな(←これ大事)むちゃ振りを背負わされるんですけど、今回もよくブチギレ者や死傷者が出なかったなと胸をなでおろしています。学生演劇祭から引き続き喀血劇場に絡め取られた古野・岡本といったいつものメンツに加え、学生演劇祭では離反していた北川、中西といった旧知に加え、謎のおっさんどもの渦に放り込まれたかわいそうな高校生、あかりちゃんも、皆さんおつかれさまでした。

もう一人、酒井は実は僕と同い年で、彼とはもうかれこそ10年来のつき合いです。知り合った当初には考えられなかったのですが、謎の悲哀を歳相応に、ひょっとすると実年齢以上に感じさせる役者になりました。驚きです。彼もまた、左京区によくいるようなひねくれた面倒臭いメンタリティの持ち主で、なおかつ露出が多くない人間なので、現状はツチノコより少しマシぐらいの認知度だと思いますが、今の京都小劇場界隈を考えるに彼の出番はもっとあるはずではないかなと。まあ本人がどうしたいのかが一番の問題ですけどね。

 

 

というわけで大体デトックスも終わり。

体が軽くなったので東京に引っ越します。

京都の学生演劇やってる人らに

10年間学生として過ごして、それ以上の見聞も特に無いんだけど、京都の学生演劇についてつらつら書く。

学生演劇やってる人に読んでもらいたいし、学生演劇を通過した人にも読んでもらいたい。

 

まず、私は学生劇団に所属したことがない。

喀血劇場は私が学生という身分だったから学生劇団というくくりにあっただけで、それに甘んじれば「京都学生演劇祭」に出れるから、学生劇団と呼ばれてみたが、「喀血劇場って実際のとこ学生劇団?」って言われたら「ちっげーよ!単なる俺のユニットだよ!」と答えただろう。(実行委員の前ではそんなこと言わない。)

だけども、フリーだった頃も、学生劇団ではない劇団に所属していた頃も、辞めたあとも、たくさんの学生劇団の人たちや元・学生劇団の人たちと一緒にやって、いろいろ見てきたので、それなりに語ることはできるはずだ。

 

京都で学生で芝居してる人たちで、今後続けていきたいと思ってる人にくれぐれも言いたいのは、無茶するなということで。無茶したところで、結構な人数が24歳ぐらいで脱落するし、その後続けていた人も35歳ぐらいでまた結構な人が脱落する。だから、続けたいと思うなら、芝居で食べようと思わないこと。プロなんか目指すな。芝居できる仕事を探すこと。出世したりしても続けられるような仕事を見つけておくこと。子どもができても続けられる環境を作ること。多分それが一番大事。子どもに関しては、知ったこっちゃねえですけど、多分、大事。

 

さっそくプロなんか目指すな、と書いたわけだが、プロになりたければ東京に行くしかないでしょ。京都市の人口は150万人ですよ。そんなところで演劇のプロが、公演うつだけで成立するわけねえじゃん。講師をやったりWSをやったりしないと絶対に成り立たない。(しかも、相当うまくやらないと無理。そんで、テレビの仕事なんてこねえよ!)東京のこと、だいっきらいなんで、本当は東京に行くしかねえでしょなんて言いたくないけど、社会における小劇場の立ち位置として、それは現時点であまりにも自明なわけ。基本的に週末しか公演はないし、芝居観に行くよりかは嵐とかが出てる映画をやっぱ見るわけ。娯楽として芝居がより身近にある世界なら(そしてそれが私の理想なわけだが)いざしらず、現時点では確実に無理だわな。普通に考えれば京都小劇場界と新国立劇場・テレビ・映画の世界なんてつながっていない。もしもそこを目指すなら、プロダクションに所属するか、単身オーディションに突っ込むか、ぐらいしか道はないんじゃないか。

 

というわけでプロになりたい人にはこれ以降、読んでもらう必要はない。

あとは芝居が好きだから続けられたらいいなと思ってる人向けである。

 

僕はめったに学生演劇を観に行かないし、今年の学生演劇祭はほとんど観なかったし、だから判断材料になるのは去年の学生演劇祭なんだけど、結構な数の劇団がどうでもいい芝居だった。もともと、別に何かを期待していたわけではないので、それは問題ない。僕が観て、面白いなと思うのは、そういった人たちの、少なくとも数年後の姿だろう。そう、数年後なのだよ。

僕と同世代の京都の小劇場劇団といえば、売れっ子(やっかみ)の「ピンク地底人」やお騒がせ劇団「笑の内閣」や「夕暮れ社弱男ユニット」「劇団ZTON」「イッパイアンテナ」「劇団ソノノチ」「京都ロマンポップ」あたりだと思うんだけど、そして、そこら辺の人たちが、学生からすると「すげー人」みたいに見えるかもしれないけど、きっとそんなことはなくて、学生と違うとこがあるとすれば、学生じゃなくなってからも続けているっていう、ただそれだけなわけです。

はっきりいって、僕らクラスの芝居でいうなら要求されるものなんてたかが知れてるので、続けてれば、それなりになります。少なくとも、僕らクラスの演劇やってる人の中に、飛び抜けた才覚なんて持ってる人はいない。そういうどんぐりの背比べというか、だんご3兄弟というか、可もなく不可もなく集団です、私たち。そんな私たちと学生との違いといえば、生きてる時間の長さぐらいです。つまり、生きて続けてりゃ、数年後、今の学生たちは私たちぐらいには当然なります。当たり前です。

僕が2回生や3回生の頃に書いてた芝居なんてそりゃひどいもんで、一生明るみに出したくありません。年をとるっちゅうのはそういうことで、まっすぐにはよくなりはしないけど、少なくとも螺旋状ぐらいにはよくなっていくもんだと思います。よくなるという言葉に語弊があるなら、学生だけではなくて、より上の年代にも受容され得るという表現がいいかな。

だからこそ、こんなおせっかいなことを書いてるわけです。私が10年過ごした京都で、芝居が好きで続けている人が少なくなるとなんとなく嫌だから。

僕は、現時点の京都の学生演劇やってる人たちに何の期待もしてません。続けた人にだけ期待します。

 

と、ここで京都学生演劇祭についてちょっと書く。

京都学生演劇祭が「僕らはこんなんですよ」という断面図を見せたいのなら、今のまま存続していくことに価値はあると思う。もしそれ以上の、「京都から何らかのムーブメントを起こしたい」「スターを発掘したい」と思っているなら、現状のままではどん詰まりの未来しか感じない。演劇祭実行委の狙いが後者ならば、消極的選択肢で芝居を選んだ、学生の間だけ芝居ができればいい人間にとっては、いい迷惑なのではないか。自分たちの中で完結していればそれでよかったものが、(言い方は悪いが)表に引きずり出されて他と比較される。楽園にいたい人は楽園にいさせてあげればいいのだ。玉石混交のまま十何団体も見せるのは、観客にとってもなかなかの負担だ。それに繰り返しになるが、果たして京都の規模で、スターやら天才なんかが見付かるのか。松田正隆土田英生や上田誠が10年に1人はいるかもしれない。でもいない。たぶんいないと思う。いないんじゃないかな。だから、演劇祭の方向性いかんによっては、上演する側だけでなく、今後の実行委に重い十字架を背負わせることになるのではないかと危惧している。(いや、実行委がインカレイベントを作りたい人だけなら別にいいんだけど。)

 

もう一つだけ危惧していること。

京都の小劇場界には今、ヨーロッパ企画が君臨している。本人らにその自覚がなくても君臨している。いや、あると思うけど。

ヨーロッパ企画と絡めたら「あがり」だなんて絶対に思ってはいけない。恐らくだけど、ヨーロッパ企画は小劇場とほかの世界をつなぐために尽力してる。それは第一義的にはヨーロッパ企画のためだし、同時に小劇場に身をおいてる人のためにもなることだろう。

でも、ほんとにおせっかいだと思うけど、ヨーロッパ企画とつながりを持つことがゴールではないし、ヨーロッパ企画と楽しい時間を過ごすだけじゃ、きっとそのあとも続けていく力にはなりはしない。

芝居を続けて行きたいなら、したたかにならなきゃねって話です。

したたかすぎても鼻につくけど。

 

というわけでプロになりたいなら学生劇団なんか辞めちまえ、引退後、同期たちとユニット組んだりするな。

続けていきたいなら、ただただ続けろ。

そういうお話でした。

 

いやあ。とりあえず読み返してみたけど、私の視野も狭いですね。

だけど2年間、特に3月には大変なご迷惑をかけた学生演劇祭に対して、それなりの責任を果たしておきたかったので。

(結局、私、何のかんの言ったあげく、大反省会、開かなかったしね!)

 

願わくば、この貧弱な論を基に、いろんな人がいろいろ話さんことを。

そしたらちょっとは面白いよね。

 

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京都学生演劇祭2013の閉会式とか打ち上げとかの感想

いやー、まさかのまさかで、2年連続で観客投票1位を逃してしまいました。

 

自分のとこの感想や裏話を置いといて、とりあえず京都学生演劇祭の話をしようかな、と。

数年後に見返して、顔真っ赤にして穴掘って埋まりたくなるぐらいのことしか書かんけど。

 

まず僕は、芝居を作る側と客と分けたうえでさらに、「実際に板の上に立つ役者、脚本家、演出家、照明、音響、舞台を始めとするスタッフ」と、「制作や劇場、大会の運営側」とは絶対に線引をしなきゃいけないと思っていて、だからその点では、演劇祭の実行委員会が、演劇とは違う文脈から参加している人が多い状況というのは、お互いに絶対に分かり得ないんだから、最初から演劇畑の人が運営に回るよりかは幾分建設的だし、健康な関係を築けるのではないかな、と思っています。

 

そして、自分は実際の舞台を作りあげる立場であるという自覚、というかこだわりに基づいていえば、実行委員の人の一部だけど、どういう動機で演劇祭の一員になったとかいう話を聞いてなおさら強く思うようになったことがある。芝居をしてないと心身に変調をきたす人が(たとえ一部であっても)いる中で、全く違った性分の人たちがいるのは、それは不幸な出会い頭の衝突であれ、なんの因果か面白い関係をその後も続けていけるようになるとしても、演劇ばっかやってるやつらが、そうじゃない人と否応なしに話さなあかん場、やりとりをせなあかん場がある、というのは、やっぱり非常に貴重な場面だ。だって、「いやあ、演劇なんてやってて、フフフ、僕、ダサいっすよね」っていうやつも、「演劇こそ至高!演劇やってない奴は糞!」っていうやつも、言い方は悪いかもしれないが、「一般人」と同じ空気を吸いながらイベントを作る機会なんて、そうそうないから。演劇を絶対視している糞野郎でも、思い出作りでやってる糞野郎も、ほんと、そんな機会ないから。自分がやってる演劇っていうのが、いかに他者に対して無力かっていうのがよくわかる機会ですわ。

 

次に、あまりにも内向的だということ。

今日の打ち上げで、今まで話をしたことがなかった人間と話をした人間が、どれだけいるのだろうと考えたときに、そういうやつは少数派なんだろうな、という。

打ち上げの場は、間違えなく「学生ノリ」で、僕も無責任に煽ったりして、ワイワイガヤガヤやれたら、それはそれで楽しいし、楽しいからには意義がある時間だというのは否定しようがない。

だけども、ですよ。

「アンケート」を求めるからには、自分以外の人と話をせにゃならんわけですよ。

芝居を作る側とアンケートっていうのは、絶対に殺し合いにならない安全圏同士で完結してるわけで。それ以上のやり取りを求めないなら、僕は初めからアンケートなんざいらんわいって思う。

参加者同士であれ、参加者と審査員、参加者と実行委員、実行委員と審査員、「あれ、なんでこんな人と話してるんだろう」ってぐらいの人と話さない限り、「いっぱい騒げて楽しかったですー」で終わるんだろうな。

 

京都について。

僕は鹿児島と京都にしか住んだことがないから、京都が特殊な街なんかどうかなんて知らない。僕が京都学生演劇祭に出たのは、自分が学生をやってるとこでやってる演劇祭だったっていう以上の理由なんて一つもない。「京都の小劇場界を盛り上げよう」だの「京都の学生演劇を盛り上げよう」だの「京都という土地でしかできないことがある」だなんて、心の底から、全く思わない。京都の学生なんて、相当な数が、よそから来て、よそに去っていくだけの存在やん。

京都学生演劇祭が今後も続いていくとして、毎年毎年、面白い団体・個人が出てくるはずがない。もしも毎年、そういう素晴らしい人材が出てくることを期待するなら、それは京都で演劇祭をやるのは明らかに間違えている。確率からいえば、せめて人口が5倍以上の東京でやるべき。東京なんて糞の塊でしかないと思うけど。

じゃあなぜ、京都で演劇祭をやるの?っていう話。

こと学生に話を絞るのなら、たまたま京都に住んで、たまたま同時期に、たまたま演劇という共通項でくくれる人がおるんだから、じゃあせっかくだし、集まってなんかやってみますかっていう、それだけなんじゃないの?

もしもそれ以上の意味を持たせたいなら、それは一部の悪い大人と、小賢しい学生が、なんらかの企みを持ってやるしかない。だけど沢大洋はアホやから、期待はできないけど。

 

閉会式について。

参加者がみんな舞台を通りすぎていくことに何の意味があるのか。

閉会式に客を入れてやることに何の意味があるのか。

ピンスポに何の意味があるのか。

かかってる音楽に何の意味があるのか。

進行役の作道・石井両氏に何の意味があるのか。

審査員と各劇団の代表が、対面でなく、平行に並んでいることに何の意味があるのか。

あまりにも全部に意味がなさすぎる。

「今、最もおもしろい舞台を作る劇団はどこか」そのシンプルな問い に答えを出す、お芝居の祭典、という大上段のお題目を掲げているくせに覚悟も企みも感じられないのはどういうことだ。

デーハーでミーハーなことをやる前に、消化しないといけないことにどれだけ背を向けているか。

そこでギャーギャー騒いでる自分を含めて、虚しい空間だった。

 

学生という範疇で考えたときに、僕はその場にいてもいいけど、いるのはおかしい異物だという自覚はさすがにありまして、去年に引き続き、大学の学籍を持っているっていうだけで、学生演劇祭に参加することができて、いやあ甘い汁をいっぱい吸えてよかった。

 

今後の京都学生演劇祭に期待するのは、本気の殺し合いです。

『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』全日程終わりました

くぅ~疲れましたw これにて完結です!

実は、入学したら芝居の話を持ちかけられたのがそもそもの始まりでした

今回も本当は話のネタなかったのですが←

ご厚意を無駄にするわけには行かないので流行り(自分の中で)のネタで挑んでみた所存ですw

以下、千佳達のみんなへのメッセジをどぞ

 

千佳「みんな、見てくれてありがとう

ちょっとエッチなところも見えちゃったけど・・・気にしないでね!」

 

美羽「いやーありがと!

私のかわいさは二十分に伝わったかな?」

 

吉水「見てくれたのは嬉しいけどちょっと恥ずかしいかもな・・・」

 

髭だるマン「見てくれありがとな!

正直、作中で言った俺の気持ちは本当だよ!」

 

杏「・・・ありがと」ファサ

 

では、

 

千佳、美羽、吉水、髭だるマン、杏、だんこくん「皆さんありがとうございました!」

 

 

千佳、美羽、吉水、髭だるマン、杏「って、なんでだんこくんが!?

改めまして、ありがとうございました!」

 

本当の本当に終わり

『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』にまつわる書き散らし

公演情報を書くこともなく、全4回公演のうち、既に2ステージ消化しているわけで、何をしとるんだ、と言われると、基本的に何もしていないという状況。

 

つうことで、本番やってます。

京都学生演劇祭2013参加公演
喀血劇場第七幕『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』

京都学生演劇祭→ http://fost.jp/

公演情報→ http://chimidoro.web.fc2.com/7th.html

感想まとめ→ http://togetter.com/li/466051

 

去年の京都学生演劇祭に喀血劇場として初参戦し、『千和、立ったまま眠っている』を上演しました。「喀血劇場サイコー!」「客席全体が感動のるつぼ」「喀血劇場は作画が安定していない」など、いろいろな評価をいただきまして、それから丸一年経っての今作です。

 

今作はタイトルどおり、「南やばしろ町」の「男根祭り」が題材なわけですが、このタイトルは去年の学生演劇祭の最終日に既に決まってました。10月までに1/3くらい書いてて、残りの2/3は直前に書きました。これね、10月から2月ぐらいまで、人生で最大の空白期間を断続的かつ継続的に経験し、動画共有サイトでひたすら動画を見続け、そのまま机の下で寝て、起きたらまたディスプレイをひたすら見て、寝て、みたいな生活を送ったりしました。

わかりやすくいうと「鬱」ってやつですね。

稽古で体動かしたり、無駄に大声出してると元気なんですけどね。

 

あとは、大学を卒業せずに(できずに)去る、半分就職する、性的欲求不満のどん詰まりに陥る、ソシャゲに課金するなど、いろいろとファンキーな状況が怒涛のように押し寄せて、アッパッパーでした。(アッパッパーって、語感が良すぎて、本来の意味とかけ離れて使っちゃう。)

 

さて、『千和、立ったまま眠っている』と『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』はかなり違います。脚本書いてるのも演出つけてるのも相変わらず僕なので、変わらない部分もたくさんありますが、前作があまりに優等生的だったので、「ちゃうねん」ときちんと言っておきたくて、そんな叫びが今作にはかなり込められておりんす。ほんとはそこからきちんと形を刈り込むべきなんだろうけど、いろんな制約から、ほぼ刈り込まれない状態で絶賛上演中です。もう全体的に僕の見せられる部分をぶちこんでいるので、どこを切っても僕、みたいな作品になってます。

 

あ、今作は今後も継続的に改稿しつつ、喀血劇場のレパートリーとなる予定なので、今回見逃しても、いずれ見れるから大丈夫。

 

それにしても「全部ぶちまける」という作劇は、高度にマゾヒスティックでありサディステックな行為だなあと思うわい。どちらにせよ超きもちいいし、我にかえると超むなしい。例えるなら、相手に首輪を付けて前戯に挑む感覚に似てます。カチャカチャ首輪を取り付けている最中は超マヌケなんだけど、首輪を付けられた相手を見てニヤニヤしてるときは至上の喜びを感じる。「え、なんでこの人、こんなの付けさせるの」って目が、徐々に「うわ、首輪つけられて感じてる自分に感じじゃうビクンビクン」ってなるのもさらなり。「こんなの付けさせないと安心できないんだね」っていう目で見られるのもいとをかし。

 

空白期間の間、東日本大震災の映像を1週間見続けて、それがもにょもにょっと心の中で形を取り始めて、俺は津波になりたいし、俺は津波に飲まれた人になりたいし、津波で自分以外の全てを失った人になりたいんだなって気がしている。

 

仕事柄、東日本大震災の話をよく聞く機会があって、あの3月11日からの1週間は、無責任に騒ぎ立てられて、ほんとに幸せな日々だったなと思う。津波の映像を見てはしゃいだことも、アホみたいなチェーンメール回してきた人をしたり顔でたしなめたり、救援物資送付の音頭取りをしてみたり。震災直後、「いっちょボランティアにでも行くか!」と思いながら結局京都に留まり続けて、またも僕はヒーローになりそこねてしまった。4月以降、東北をうろちょろして、ヒーローになりそこねた僕のかけらを拾い集めてこようと思います。

 

そうそう。東北に行くからね。脚本を書くうえで、取材なんてしちめんどくさいことしたくないので、しばらく東北の空気を吸えば東北感が身に付くだろうと思ってね、だからこそ、今の時期に、東北の空気なんかほとんど吸ってない状態で、ど田舎の話を書きたかったっていうのがね、結構後付の理由ですが、あります。今作におけるど田舎は空想上の典型的ど田舎であって、どちらかといえば、ど田舎を突き離すというか、自分に寄せて書いている感じなんですが、もしかしたら今後、目も覆いたくなるような真性のど田舎の空気を纏うかもしれないし、実は空想上の典型的ど田舎と実在のど田舎は一致してるかもしれませんが、今作を改稿して再演するというのが非常に楽しみです。

 

さーて、今年こそ、学生演劇祭で優勝するぞ!